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第3話:神通川と釜無川(富士川へ)

旅の3日目の朝は、富山湾に静かに佇む「海王丸」を眺める、清々しい日の出から始まりました。こんな美しい船が造られ、海洋に出ていたことが信じられないです。嵐も経験したと思うのですが、そのことを微塵も感じさせない美しさでした。



車を走らせて次に向かったのは、美しい散居村の風景が広がる砺波(となみ)でした。そこで、冬を越えて次の春に美しい花を咲かせるための、チューリップの球根を手に入れました。富山県は、チューリップの生育に適した気温、日照時間、肥沃な土地、豊富で良質な水などの自然の恵みがあり、チューリップ栽培が水田の裏作に適したそうです。ここ数年、甥っ子とチューリップの球根を植えて春の楽しみにしていたので、この秋冬の楽しみが増しました。

そこから私たちは、富山のもうひとつの大きな川である「神通川」沿いへと車を進め、帰路へ。稲刈りがそこかしこで行われていて、川では釣りをする人たちも。しかし、この川の歴史を語るうえで、避けては通れない大切な記憶があります。学生の時以来となる「イタイイタイ病」の歴史を、もう一度学び直す時間を持ちました。

かつて、工業の発展とを優先するあまり、川へ流されてしまった有害な物質。それを、知らず知らずのうちに飲み、お米を育てる水として使い、一生懸命に生きていた先人たちの身体が、やがて激しい痛みを伴っていくという、切実な歴史です。かつての悲しい歴史の影に胸を痛めながらも、いま私の目の前に広がっている神通川沿いの景色は、美しく、みずみずしい黄金色の田んぼで満たされていました。

かつて深く傷ついてしまった土壌を、先人たちはあきらめることなく何十年もの歳月をかけて改良し、水の安全を復活させ、今のこの豊かな実りの風景を自分たちの手で再び取り戻したのです。私はその風景を見つめながら、人間の内なる底力に、深い感心と感動を覚えずにはいられませんでした。それは、壊して終わりにする力学ではなく、一度ストライキを起こした大地に対して、人間が眼を向け、共に健やかさを再生させていった。

私たちの身体も、それと同じだと思うのです。日々の忙しさのなかで一度強張ってしまい、ブレーキやストライキを起こした身体であっても、それは決して元に戻らない劣化ではありません。強引なコントロールを少しだけ手放し、土壌を整えるように優しく見つめ直してあげること。それだけで、私たちの内なる自然治癒力は何度でも目を覚まし、本来のみずみずしい健やかさを、自律的に取り戻していくことができると思います。

神通川をさらに上流へとさかのぼり、私たちは岐阜県の神岡(かみおか)の街へと入りました。何度も通りかかったことがあった、鉱山と共に歩んってきた神岡の街。車窓から見える力強い工場の姿を見つめながら、私はこれまで、大自然のなかに無骨に佇むその景色に、どこか少し残念な思い(影)を抱いていました。けれど、今回はその土地の暮らしのなかに立ち寄ってみることにしました。

街のなかに静かに佇む「水屋(みずや)」へ。山からの湧き水を今も大切に引き込み、共同体で水を守りながら生きる素朴な生活の営み。そこには、自然の恵みを敬い、分かち合ってきた人間のぬくもりがありました。

さらに地宇宙物理学の研究施設「カミオカンデ」の知見に触れられる場所へも立ち寄りました。かつて大地を深く掘り進め、資源を採掘するための技術で、地下深く(地下1,000m)にある硬い岩盤の場所に、装置を設置するための巨大な空間を新しく掘削して作られたもの。現代の科学とタッグを組み、目に見えない宇宙の最も微細な素粒子を捉え、大いなる宇宙の成り立ちを研究するための場所でした。大地を傷つけたはずの影の記憶が、豊富な水のありかで、巡り巡って、宇宙からの光を記録して解明しようとしている…不思議な気持ちになりました。

その後は、安曇野(あづみの)を経由して、山梨の釜無川(かまなしがわ)沿いを辿りながら、我が家のある富士宮へと還ってきました。帰り道、偶然か必然か、渋滞を避けるために釜無川沿いの下道をのんびりと車で走っていたのですが、通りかかった温泉の看板に、思いがけず「フォッサマグナ」の文字を見つけたのです。糸魚川から始まったあの地球の大きな溝の物語は、遠く離れた場所の話ではなく、いま自分が走っている山梨の土地を経て、家があるこの富士宮の足元へと、ずっと繋がっていました。糸魚川の大きな溝が、我が家の方にまで繋がっていることを再認識した瞬間でした。

フォッサマグナを巡る旅は、遠くの地質の歴史をたくさん見て学んで、そうして車窓から富士山が見えて、地面に足を下ろした瞬間、なんだか言葉にならない安心感で終えました。3億年前の断崖も、地の底のヒスイも、傷ついた土壌をあきらめずに整えた神通川の田んぼも。すべては遠いどこかの話ではなく、ずっと地続きで繋がっている。
自分の心や身体の小さな声を無視して、外側の忙しい物差しに合わせようとがんばり続けてしまうとき、私たちの神経系は知らず知らずのうちに強張っていきます。でも、そんなときは難しく考える(脳で分析する)のを少しだけお休みさせて、ただ静かな自然のなかに身を置き、足の裏全体で大地の感触をそっと受け取ってみる。それだけで、私たちの内なる自然は、本来の心地よいリズムを思い出し、自律的に緩み始めていくのだと思います。
富士山の麓にある「きらきら」や、この富士山の静かな森の空間は、いつでも「ただの温かい人間」にそっと還るための、ひとつの優しい器でありたいと思っています。外側の忙しさに少し疲れてしまったときは、どうぞいつでも、ご自身の真ん中を休ませに、この足元の安心感へと羽を休めに来てくださいね。深い呼吸と共に、今ここにあるご自身の愛おしい器を、共に大切に眺められる日を心から楽しみにしています。
(完結)

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