私にとって、畑に立つ「野良時間」は単なる農作業ではありません。
それは、心地よく体を動かす運動でもあるし、どう動けば効率が良いかを考える脳トレでもあります。
静かに自分と向き合う内省のときでもあれば、瞑想であり、問答の時間であり、時には自然への祈りに繋がるときでもあります。
思いきり汗をかいて、頭の中の忙しさが静かに解けて、なんだか心身がすっきりと整う。私にとって、これ以上ない最高に贅沢な「ひとり時間」なのです。
頭をフル回転させる「段取り」の楽しさ
この秋、私は6つの畝を下準備して、種をまき、枯れ草を敷いてネットを被せるという作業に取りかかっています。どの畝に何を植えるか、東西南北のレイアウトはどうするか。頭をフル回転させてこの段取りを組んでいる時間が、実はもの凄く楽しい「脳トレ」だったりします。
不格好であっても、自分で育てて、実ってくれた野菜たちは本当に愛おしくて、スーパーで買うものの何倍も美味しく感じられます。もちろん、実らないこともあります。実りが少ないとか、不恰好とか、傷だらけとか。
野良時間を、最近もっと快適にしたくて、実は密かに「軽トラ」がほしいな、なんて考えています。汚れを気にせず泥のついた道具をポンポン積める相棒がいたら、最高だろうな、と(笑)。それと、雨の日でも作業ができるような、小さな軒下のある作業場もあったらいいなぁ……!
手のひらの上で知った、2年のドラマ
実はここ最近、畑では「種取り」にも注力しています。先日もごぼうの種を自分で収穫したばかり。カラカラに枯れた花穂から、チクチクするトゲに気をつけながら命の粒を取り出し、それをまた、この9月の畑にすぐに播種したのです。
自分で手を動かしてみて、改めてそのサイクルの長さに驚かされます。スーパーで綺麗に並んでいるごぼうや人参。彼らが次の世代の種を残すまでには、実に「2年」もの月日がかかります。彼らは1年目、あえて花を咲かせません。ひたすら葉を広げて太陽の光を浴び、土の奥深くへと根を伸ばし、そこにエネルギーをじっと溜め込みます。私たちが普段いただいているあの太い根っこは、まさに彼らが命をかけて蓄えたエネルギーそのものです。そして過酷な冬を越し、その厳しい寒さをスイッチにして、2年目の夏にようやくアザミのような紫の花を、白いレースのような花を咲かせ、次の世代へと種をつなぐ。植物たちのしなやかな設計図を知ったとき、ただただ、自然の営みへの深い愛おしさが湧いてきました。
こんなにもダイナミックな命のドラマがあるのに、私たちはそれを何も知らずに、綺麗な完成品として消費しているのではないか。命のサイクルの、いわば「1年目の途中の状態」を、無知のまま通り過ぎてしまっているのは、なんだかとてももったいなくて、残念なことだなと思ったのです。
「思い通りになる快適さ」の裏側で
そんな風に、命が「種をつなぐ」営みに意識が向くようになってから、ふと、別の景色が違って見えるようになりました。
秋になるとお店にたくさん並ぶ、みずみずしい葡萄(ぶどう)。最近は当たり前のように「種無し」と謳われているものが溢れていますが、みなさんはあの「種無し」を、不思議に思いませんか?
実は種無しになるような工夫がなされているのです。使われているのは、植物が本来自ら成長するときに分泌する「天然の植物ホルモン」。身体に悪い人工的な劇薬で作られているわけではありません。でも、本来なら種があるはずの自然の姿を、人間の「食べやすさ」や「効率」という消費の都合に合わせて、そのホルモンのしずくに一つひとつ手作業で浸してコントロールしているのです。
それは素晴らしい農業の技術であると同時に、私たちがどれだけ「思い通りになる快適さ」ばかりを自然に求めてしまっているかという、現代の消費社会への静かな問いかけのようにも思えます。種がない便利さの裏側で、私たちは何か大切なプロセスまで削ぎ落としてしまっているのではないか、と。
人間の無知と、足元の贅沢
早く成果(完成品)が欲しいと、どこかで焦ってしまう自分。
プロセスをすっ飛ばして、思い通りになる快適さばかりを求めてしまう自分。
それは畑のことに限らず、私自身、日々の暮らしのなかで毎日のようにやってしまっています。
実は先日、自分の体調をすぐになんとかしたくてたくさん寝ようと焦ったり、ほうれい線を今すぐ直したくてテレビで見た顔と首のストレッチをやってみたりしました。「一瞬で激変!」という魅力的な言葉に飛びついて、プロセスを無視して結果だけをコントロールしようとした結果……見ごとにかえって首が回らなくなってしまいました(笑)。
じっくり時間をかけて今の自分の身体があるのに、その声を無視して、外側の情報に頼って一瞬で形を変えようとしたツケが、首の痛みとして返ってきたのです。テレビの動画が悪いわけでも、マッサージが悪いわけでもありません。ただ、人間の都合や効率主義のスピードでは、自然も、この自分の身体も動いてはくれないという大切な事実に、痛みをもって気づかされました。
10月。私はまた、畑に立って新しい種をまこうとしています。
すぐに目に見える成果は出なくても、必要な時間をかけて、命はちゃんと繋がっていく。そのスタートの瞬間に、そっと立ち会わせてもらう。この自然の恵みの愛おしさを噛み締めながら、今日も私の愛おしい野良時間は続いていきます。

私自身にも、焦らずじっくり時間をかけてプロセスを大切にしながら育てたいですね。
皆様の足元が、今日も揺るぎない安心感で満たされていますように。


