知性が追いつくよりも、早く
前回、軒先の白いバラやカラタネオガタマの香りに誘われて、思考から身体へと意識を戻すお話をしました。
「あぁ、いい香り」
そう身体が感じた瞬間、緊張が解け、知性が追いつくよりも早く脳はリセットボタンを押されています。
この記事をお届けしたあと、ある方から「自分は嗅覚が敏感なのかもしれない、と初めて気がつきました」という、とても愛おしいお声をいただきました。そして続きのこの記事を書くきっかけをいただけたことに、心から感謝いたします。
頭で納得する前に、身体が先に知っている
日本語の面白い慣用句に、こんな言葉があります。
「鼻がきく」
「きな臭い話」
「胡散(うさん)臭い」。
目に見える証拠があるわけではないのに、何かトラブルの予感がするとき、私たちはそれを古くから「匂い」の言葉で表現してきました。
本当かどうかを頭で「正しい」と納得する前に、かぎ分けることができる。身体のセンサーが先に察知している。私たちは日常の中で、理屈を介さない無意識のセンサーを稼働させて、選んでいることがあると思います。
このセンサーは、受け取りやすいジャンルが人によってあるのではないでしょうか。
たとえば「音(聴覚)」に敏感な方は、相手の声のトーンや響きから、言葉の裏にある真偽を瞬時に感じ取ります。
そして「肌(触覚)」のセンサーが鋭い人もいます。空間のピリついた空気感をいち早く察知したり、素晴らしい本物や心震える感動に出会ったとき、言葉より先に全身に鳥肌が立つこともあります。肌も、目に見えないエネルギーをリアルに受け取る場所。
あるいは、「口や胃(味覚・身体の奥)」で察知する人も。事が進んでいくときに、条件は悪くないハズなのに、後味が悪いと感じたり、どうにも腑(ふ)に落ちないとモヤモヤする。それは知性がどれほど綺麗にまとめ上げたとしても、身体がそれは受け入れちゃダメだよと、飲み込むのを拒否しているサインなのかもしれません。
「なんか、そう感じる」「なぜか、伝わってくる」
そんな風に、理由のつかない直感のベースになっているもの。
それこそが、ただ今ここに身体をもって存在している私たちが、生まれながらに携えている、身体という名の静かな羅針盤なのだと感じます。
知性を優先して、見落としてしまう警報
私たちは大人になるにつれて、社会のルール、理屈、あるいはエビデンスばかりを優先し、せっかくのセンサーが鳴らしている小さな警報を頭で押し切ってしまいがちです。
「この人が言っているから間違いない」「データが正しいと言っているから」と自分の内側の感覚にフタをして外側の物差しを優先してしまうと、後になって「やっぱりあの時の違和感が当たっていた」と後悔することも少なくありません。
このように身体のブレーキを無視して頭(知性)だけでアクセルを踏み続けてしまうこと。それこそが、日常で感じる「原因不明の疲れ」や、外側の強い刺激に圧倒されてしまう背景に繋がっていることもあるのではないでしょうか。
この「敏感」や「繊細」という言葉は、時に「疲れやすい」「刺激に圧倒されやすい」という意味で使われがちです。人より多くの情報をキャッチしてしまう分、人混みや社会の強い枠組み(システム)に疲れてしまうこと、確かにありますよね。
繊細さを「振り回されるもの」から「使いこなすコンパス」へ
では、そのセンサーとの付き合い方の視点を、少し変えてみるのはいかがでしょうか。
敏感さや繊細さとは、決して外側の刺激にビクッとなるための「弱さ」ではありません。
それは、他の人が気づかずに通り過ぎてしまうような、天気が移り変わる時のかすかな風の匂いや、誰かが活けてくれた花の姿、あるいは心が震えるような音の響きを、人一倍深く受け取り、自分の内側を満たすことができる、豊かさそのものです。
知性を超えた身体の声を信頼することは、今ここに身体をもつ自分という純度を、もう一度深く信頼していくプロセスに他なりません。
「嫌な予感」や腑に落ちない違和感があるときは、誰に遠慮することなく自分の感覚を信じて、そっとその場を離れたり、それを選ぶのをやめてみる。
「心地いい」と感じるお気に入りの香りを味方につけて、思考が暴走しそうになったらいつでも自分の真ん中の静けさに戻ってくる。
繊細さを、外側に振り回される厄介なものとして敵対するのをやめて、自分の意思でただ静かに扱っていくコンパスへ。
まずは身体の声を聴く。知性を働かせるのは、その次でいい。
「こうあらねばならない」という外側のシステムに自分を合わせるのをやめて、どうかその微細な感覚を、あなたを本来の純度に戻すための味方として、大切に重ねていけたらと願います。
センサーの調律ー身体という名の、静かな相棒
私が現場で皆様のお身体に触るとき、大切にしているのも、まさにこの強張ってしまったセンサーの緊張をそっとほどいていく時間です。
日々のノイズのなかでカチカチに緊張してしまった神経系が優しく緩み、内側に適切な余白が取り戻されたとき、眠っていたセンサーの感度は、本来のクリアな働きを取り戻し始めます。
外側の正解や他人の評価ではなく、自分の内側から湧き上がる「快・不快」や「これでいい」という静かな羅針盤がはっきりと動き出す。だからこそ、日常の忙しない選択のなかに戻ったときにも、他人の物差しに惑わされることなく、自分の魂の声とともに歩いていくことができるのだと捉えています。
あなたの身体という「静かな相棒」は、今日もあなたを守るために、健気にサインを送り続けています。
知性がぐるぐると暴走しそうになったときは、どうか一呼吸おいて、あなたの優秀なセンサーにただ静かに耳を傾けてみてください。
今日、あなたのセンサーは、どんな微細なメッセージをキャッチしていましたか?
皆様が穏やかな安心感で満たされていますように。今日も美しい1日をお過ごしください





