1年の中で最も昼の時間が長く、太陽のエネルギーが最高潮に達する「夏至」を迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は先日、5月末から6月半ばにかけての2週間、富士山の麓の日常を少し離れ、夫婦で北海道へ車中泊の旅に出ていました。まさに、夏至に向かって日に日に光が力強さを増していく、エネルギーの満ち引きのなかに身を置くリトリートのような時間です。
光が極まっていく季節のなか、私の内側が刺激を受けたのが、北の大地における「天体の圧倒的なサイクルとその多様さ」でした。
旅の序盤に、私たちはまるで地球の呼吸をそのままなぞるような、濃密な3日間を過ごしました。

始まりは、日本の最北端の宗谷岬。とても強い風が吹き荒れる午前3時台、東の空が白み、ぐっとスピードを上げて雲間から太陽が姿を現しました。その激しい風をも切り裂くような、純粋で力強い光に、心と身体が強く引き寄せられ、内側から呼び覚まされていくのを感じました。
しかし、その日はそれで終わりませんでした。

車を走らせたその日の夕方、私たちはサロマ湖畔で静かにゆっくり沈む真っ赤な夕陽を見つめていました。水面が鏡のように凪ぎ、世界が静かに深いオレンジ色へと溶けていく時間。さらにその後車を走らせていると、今度は湖の上に「真っ赤な月」が目に入ってきたのです。車窓から見つめた、漆黒の空に浮かび上がる妖艶なほど赤く巨大な月。静かな水面に現れる赤い線。太陽の動的な光から、一瞬にして宇宙の静寂へと引き込まれるような感覚でした。この日は満月でした。

翌朝は、網走の道の駅のデッキで、打って変わって風が穏やかな、ゆっくりとじんわり満ちていく日の出を味わいました。低い水平線から登る光をうけて、ゆっくりとオレンジ色に染まっていく夜明け。宗谷岬の激しい目覚めとは対照的な、静寂の中で自分の細胞が1つずつひらいていくような、深い安らぎを伴う時間でした。

そしてその日の夕方には、ウトロでオロンコ岩に登り、世界を黄金色に染めながら水平線へと溶けていく、まばゆい夕陽を味わいました。
急な階段を登りきり、遊歩道のデッキから見つめたあの広い夕暮れは、どこまでも続く広大な海と天を感じる、どこか神聖な美しさに満ちていました。
太陽が昇り、沈み、入れ替わりで月が姿を現し、また太陽が鮮やかな朝を連れてきて、次の夕暮れへとバトンを繋ぐ。
この激しさと優しさ、動と静を繰り返す圧倒的な天体のサイクルを途切れることなく五感で浴び続けるうちに、私の中に眠っていた原始の生体リズムが呼び覚まされ、日々の呼吸が深くなっていきました。慢性的に強張っていた緊張が、静かに、優しくほどけていったように感じていました。
私たちが日々、忙しない日常や効率を促す社会、あるいは「こうあらねばならない」という”外側の正解”に縛られる中で、つい握りしめてしまう小さなこだわりやエゴ。
それらが、地球のダイナミックで豊かな巡りの前で、ふっと力を失い、溶けていくようでした。
足し算ではなく、ただ「戻していく」プロセス
心身の変容、意識の変容とは、何か特別な新しい自分に生まれ変わることではなく、また外側から得た新しい正解を付け足すことでもなく、日々のノイズや支配的な枠組みによって狭くなってしまった視野を、本来の私たちがそれぞれ持っている大きな視点へと、ただ戻していき、それを生きるプロセスなのではと考えます。
宗谷岬の風のように一気にエネルギーを引き上げられる瞬間。網走の凪のようにじんわり内側から満たされる時間。そして、サロマ湖やオロンコ岩の夕陽や真っ赤な月のように、すべてを手放して静寂へと還っていく時間。どれが良い悪いではなく、私たちのいのちには、そのすべてのグラデーションが必要です。
本来の軸を思い出し、歩み始める安心感
大きな自然のエネルギーに生かされ、包まれているという安心感。そのなかで、私たちの意識は自然とクリアになり、本来の自分の軸を思い出し、本当に進みたい方向を見つけ、そちらへ歩み始めることができます。
夏至の力強い光は、私たちの内側にある「本当に進みたい方向」を、嘘偽りなく優しく照らし出してくれるエネルギーを持っているように感じます。
もし今、心や身体にどこか滞りや重さを感じているなら、少しだけスマホの画面を閉じて、今日という日の光の巡りを、光の温かさをあなたの五感から感じてみてください。
皆様の心と身体、いのちが、夏至の豊かな光とともに、目覚めと調和へ向かいますように。今日も美しい1日をお過ごしください。




