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身体の「予感」を、思考で上書きしていませんか。 

私たちは日常的に「正しい選択」をしようと頭をフル回転させています。論理的に考え、過去のデータと照らし合わせ、失敗しないためのルートを導き出す。その「思考」という能力は、現代を生き抜くための強力な武器です。 

けれど、その思考の影で、私たちが無意識に切り捨てているものがある思います。
それは、頭が納得のいく理由を出す前の、ほんのコンマ数秒。

指先がすっと冷たくなったり、喉の奥が微かに詰まったり、あるいは逆に、胸のあたりがふわりと軽くなったりする。そんな、言葉になる前の「身体の反応」です。 

私たちは、この繊細なサインを「気のせい」として処理し、上から思考で蓋をしてしまいがちです。でも、その身体の違和感こそが、あなたの脳がまだ気づいていない「真実」を、真っ先に察知して届けてくれているレポートだとしたら。 

香りが記憶を呼び覚ますように、身体は「知っている」 

たとえば、ふとした瞬間に漂ってきた香りを嗅いだとき。

理屈で分析するよりも早く、一瞬にして昔の記憶が鮮やかに蘇ってきたことはありませんか?

「これは何の香りか」と脳が考え始めるよりも前に、身体が先に反応し、心がどこかへ連れて行かれる。あの瞬間、私たちの身体は、思考というフィルターを通さずに「今、ここにあるもの」とダイレクトに繋がっています。 

身体の「予感」も、これと同じだと思います。

意識が「あ、これだ」と認識するよりもずっと早く、身体の受容器は反応を返しています。いわば、自分の中に、自分よりずっと勘のいい「現場の専門家」が常に寄り添ってくれているようなものです。 

脳(思考)は過去のデータや常識をベースに「分析」するのが得意ですが、身体は「今、この瞬間」のリアルな空気をダイレクトに受け取って反応しているのだと思いませんか。 

「道具」から「専門家」へ。私も、失敗を繰り返す実践者です 

これまで私は、ブログを通じて「身体のサインに気づくこと」や「季節の移ろいに揺らぐ心身を慈しむこと」の大切さをお伝えしてきました。 

かつての私は、理想の動きができないとき、「どうして言うことを聞かないんだ、ついてきてよ」と、身体を自分の思い通りに動かすための「道具」のように扱っていました。

季節の変わり目に体調を崩せば、「なんで今、こんな大事な時に壊れるんだ」と自分を責めていました。 

しかし、今はかわりました。身体が「勝手に壊れた」のではありません。むしろ、身体は外の世界の変化を脳より先に察知し、あなたを守るためにフル稼働してくれている。その「適応という大仕事」の最中に、身体はサインを送ってくれていたのです。 

身体の声を聞かずに無理をさせたり、ずっと無視し続けてきた結果、身体は「痛み」や「不調」という最後の手段を使って、私たちにメッセージを届けてくれている。そう気づいたとき、私は自分自身の身体に対して、申し訳なさと共に、深い敬意を覚えるようになりました。

正直に言えば、私自身も今でも失敗の連続です。「もっとやれる」と頭で押し切ってしまい、後から身体に「無理しすぎだったんだよ」と教えられることも多々あります。そんなとき、ふと立ち止まって「自分のプライドや執着が、身体の声を遮っていなかったか」と気がつくことがあります。 「こうあるべきだ」という自分勝手な理想や、これまでの自分を崩したくないというプライドが、身体からのサインを無視させていたのです。

身体は、私のエゴを映し出す最も誠実な鏡でもありました。

「コントロール」を手放し、「相談」を積極的に始める 

ここから一歩進んで、身体を「活用する」という視点を持ってみませんか。 

身体を思い通りに動かそうとする「コントロール」の手綱を、緩めてみる。

それよりも、「ねえ、今のこれ、どう思う?」と、対等な相棒に意見を仰ぐような関係を築いてみる。これを、私は身体への「相談」と呼んでいます。 

たとえば、何か大きな決断をしようとしているとき。

「論理性」だけで答えを出そうとするのを少しお休みして、自分の身体の内側に聞いてみます。 その選択を口にしたとき、呼吸はどう変化するだろうか?その場所に足を踏み入れたとき、足の裏の感覚はどうだろうか? 

身体が差し出してくれたレポートを、そのまま「重要な判断材料」として採用してみる。

頭だけでひねり出した「正解」よりも、ずっと自分らしく、納得感のある一歩が踏み出せるようになるのです。それは、無理に自分を奮い立たせる必要のない、自然な一歩になります。 

身体の「言い分」が、雑音に消されてしまうとき 

もちろん、身体の声を聞こうとしても、なかなかうまくいかない時もあります。

日々の忙しさや、張り詰めた緊張が長く続くと、私たちの内側は常に「警報」が鳴り響いているような状態になってしまうからです。

そうなると、身体が送ってくれている繊細な「予感」は、すべて大きな雑音の中に埋もれてしまいます。何を受け取っても「ただの痛み」や「不快感」という塊としてしか感じられず、身体が本当に伝えたい言葉を、脳が翻訳できなくなってしまうのではないでしょうか。

私がお手伝いしているのは、その鳴り止まない警報を一度静め、身体というパートナーとの間に「静かな余白」を取り戻すことです。 

身体が「勝手に壊れた」と嘆くのではなく、その強張りを少しずつ解いて、再び「ねえ、これどう思う?」と身体に問いかけ、その返信をフラットに受け取れる土壌を整える。それが、私が大切にしている「調律」の役割です。 

霧が晴れるように余計な緊張が引いていくと、身体のセンサーは驚くほど鮮明になります。香りが瞬時に大切な記憶を連れてくるように、「あ、今はこっちだな」という直感が、理屈を超えた確信を持って心に届くようになっていきます。 

身体の知性と、再び手をつなぐ 

身体は、いつもその瞬間の精一杯で、あなたを生かそうとしています。たとえ痛みが続いていても、思い通りに動かなくても、身体は常に「あなたを最も良い状態に保とう」と、最善を尽くして健気に働き続けています。

「どうして壊れたんだ」と責めるのをやめて、「これまでどんな使い方をしてきただろう?」と自分の日々に目を向けてみる。身体はコントロールする対象ではなく、生涯を共にするかけがえのないパートナーです。 

脳の判断だけに頼るのを少しお休みして、身体の知性とタッグを組んでみる。

その「風通しのよさ」を、富士宮のこの静かな場所で、一緒に見つけていけたらと思っています。 

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