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自分を磨くとは、本来の自分に「還る」こと

「自分をもっと高めたい」「今の自分を変えたい 

そう願って自分を磨こうとする時、私たちはつい、「もっと、もっと」とデコレーションして、今の自分に新しい何かを「付け足して」、別の何者かになろうとしがちです。 

けれど、本来の自分磨きとは、実はその逆。汚れを落として、元に戻る「お掃除」のような感覚に近いもの。少しだけ肩の力を抜いて、「自分を高める」という言葉を少し柔らかく捉え直してみませんか。

足すのではなく、曇りを「引いていく」 

日本には古くから、神社をお参りしたり、神様を敬ったりする文化が根付いています。そこに流れているのは、決して難しい理屈ではなく、とてもシンプルな「清々しさ」の追求ではないでしょうか。

例えば、朝起きて顔を洗ったり、部屋を掃除したりすると、心がスッと整いますよね。神道で大切にされる「お祓い」も、元を辿ればそれと同じです。自分の中に溜まったモヤモヤや、無理な力み、知らず知らずのうちに身につけてしまった「心の鎧」。それらを掃除するように、丁寧に拭い去っていく。 

「足していく」のではなく「引いていく」、そうして残った「一番素直で、清々しい自分」に出会うこと。自分を高めるというのは、特別なだれかになることではなく、曇りを拭いて、本来の自分に戻っていくことなのではないかと思うのです。

柳のような「しなやかさ」という自芯

自分を高めようと必死になりすぎると、どうしても「自分の力だけで何とかしよう」と、体がガチガチに固まってしまいます。

けれど、職人やスポーツ選手が魔法のように軽やかに動くのは、余計な「自分、自分!」という意識が抜けているように見えます。

これを昔の人は「大きな流れにお任せする」という感覚で表現しました。 

無我夢中で取り組んでいたら、あとは自然の流れや大きな力に身を任せる。自分を磨ききった先にあるのは、鋼のような硬い強さではなく、風に吹かれても折れない「柳のようなしなやかさ」なのかもしれません。

こうした「しなやかさ」は、変化の激しい今の時代を生きる私たちにとって、何よりの助けになってくれるはずです。

私はつい、問題に対して完璧な答えを、早く効率よく出そうと力んでしまいます。けれど、自分を磨き、心の曇りを取り除いていくと、不思議と「今の自分にできることを、ただ精一杯やればいい」という潔さが生まれてくる気がします。

そのしなやかさこそが、外側の状況に振り回されない、静かな「自芯(じしん)」になってくれるはずだと思います。

曇るたびに、また静かに拭えばいい  

自分を磨く過程で出会う「ままならない自分」も、決して否定する必要はないと思います。掃除をしていてもすぐに埃が溜まるように、私たちの心も、油断すればすぐに不安や焦りで曇ってしまいます。でもそれでいいのです。「あぁ、また曇っちゃったな」と気づくたび、そんな自分も私らしいなと微笑みながら、また静かに手を動かして拭えばいい。その繰り返しこそが生きるということであり、その積み重ねが深い味わいを与えてくれるのだと思います。

かつての日本人が、道端に咲く名もなき花に神聖さを見出し、道具一つひとつを大切に扱ってきたように、私たちも自分という存在を、一つの尊い「器」として丁寧に扱ってみる。

鏡をピカピカに磨くのは、自分の顔を見つめるためだけではありませんよね。光を反射させて、周りを明るく照らすためです。

おわりに

「自分がすごくなる」のが目的ではなく、「整った自分で、誰かをちょっと笑顔にする」。家族に優しく声をかける、目の前の仕事に丁寧に取り組む。そんな日常の小さな振る舞いの中に、自分を磨いた成果が自然とあふれ出していく。それこそが、自分を高めた先の調和、美しい姿ではないのかなと私は思っております。

清々しい景色を求めて、私も皆さんと共に、日々自分という器を磨き続けていきたいと思っています。目の前のことを丁寧に、心を込めて積み重ねていきます。
日々、健やかで晴れやかに自分を愛おしんでいきましょう。

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