「うわ…」鏡に映った自分にショックを受けたことはありませんか?
カイロプラクターとして皆様と対話していると、切実な声を耳にすることがあります。
「だんだんと丸くなっていく背中に、自信を失ってしまいそうで」
「自分の足で力強く歩きたいのに、身体が重く、自由が利かない」
「ふと鏡や写真に写った自分の姿を見て、言葉を失ってしまいました」
これらは単なる数値や形の変化ではありません。身体の不調を超えた、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、自分という存在が損なわれていくような深い喪失感や焦燥感が静かに波立っているように感じます。イメージにある自分と、今ここにある現実とのギャップに愕然とし、情けなさに胸がギュッとなる。その瞬間は孤独で重たいものです。身体について学んできた私自身も、同じように揺らぎを抱く瞬間があります。
その背中の丸みは、あなたが何かを守ってきた証
私たちが鏡の前でため息をつくその変化とは、家族を守るために、仕事を成し遂げるために、あるいは日々のささやかな日常を維持するために。自分自身のケアを後回しにしてでも、守ってきたかった大切な何かがあったはずで、その積み重ねてきた愛すべき日々の結果として、今のあなたの身体があるのではないでしょうか。まずは自分の体を「お疲れ様」と認めてあげてほしいのです。
自分磨きとは、キラキラした何かを「足すこと」じゃない
私が思う本当の「自分磨き」は、今の自分に何かを付け足して「別の理想的な誰か」を目指すことではありません。
私たちは本来、誰もが健やかで自由な身体を持って生まれてきました。人生の過程で、社会的な役割やストレス、自己防衛のために心身に何重もの鎧をまとってきました。誰にも弱みを見せまいと張り詰めた肩、期待に応えようと前のめりになった首、感情を押し殺して固くなったお腹…これらを一つずつ丁寧に脱いでいき、本来の健やかなあなたに還ること。
「あぁ、酷使しちゃったな」と認める痛みが、一番のエネルギーになる
この道のりには、大きな現実の壁に突き当たります。今の衰えや不自由さが際立ち、目を背けたくなります。自分を磨き直そうとする気力すら失いそうになることもあります。
けれど、そこで目を逸らさずに現状を「これが今の私なんだ」と、まずは慈しみを持って見つめること。正直、それは痛みを伴う作業ですよね。 自分の不完全さを認めることは、ある種の絶望に近いかもしれません。けれど、その愕然という痛みこそが、新しい自分を動かすための最も純度の高いエネルギーになるのだと思います。
戦うためではなく、ただ「心地よく在る」ための再起動
中途半端なポジティブさで現実を誤魔化すのではなく、私はここまで身体を酷使してしまったんだなと心底認めることができたとき、初めてエネルギーのベクトルが否定から変革へと切り替わると思うのです。その瞬間、身体の主権はあなたのもとに戻ってきます。身体に振り回されるのではなく自分の身体は自分のものであるという感覚(主権)。
変革への静かな意欲とともに自分をフラットに見つめるとき、平穏の中で、身体の緊張が解けるように心のこわばりもスッとほどけていきます。
この静かでフラットな状態こそが、脳と全身を繋ぐ神経系が最もスムーズに働く状態です。戦うためでも逃げるためでもなく、ただ「在る」ために最適化された神経伝達が始まります。これこそが、身体が本来持っている「自ら変わる力(自己治癒力)」を最大限に引き出してくれる、最高の再スタート地点だと考えます。
今ここに在るご自身の身体を、慈しみの手で触れることから始めてみませんか。
まずは、ふぅ~とひとつ、深く息を吐きましょうか。



