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火の受容力 ─ 蓋をこじ開けず、ただ放つ時間

久しぶりに自分で火を起こしました。新聞紙と木屑と松ぼっくり、炭をおいて。小学生の頃のようにささやかなこだわりで着火剤に頼らず、風の通り道を読みながら慎重に火種を育てることから楽しむことにしました。

「押しすぎず、引きすぎず」火と対話する時間 

マッチを擦り、小さな火を松ぼっくりへ。急ぐと消えてしまうので、これは火とのコミュニケーションだなと思いました。風の通り道を読み、空気を送り込み、火の様子を伺う。焦って大きな薪(まき)を乗せすぎれば火は消えてしまうし、放っておけば立ち消えてしまう。何度か消えてしまった火種を見送り、押しすぎない引きすぎない、手間をかけて火を育てる過程。そこにはとても濃密で、穏やかな時間が流れているように感じました。

炎の揺らめき、香ばしい匂い、温かさ、炭が赤々と熱を帯び、炭が爆ぜる音、目耳鼻肌で感じました。火が落ち着いたところで、秋刀魚を焼きます。焼き上がっていく秋刀魚の香り、間違いのない美味しさは間違いないです。

ジャッジのない眼差し、無言の受容に身を委ねる 

秋刀魚を堪能したあと。私はただひたすら、残った火を眺めていました。
炭火は、ただ燃えているだけです。言葉を発することもなくただ静かに。だけど見ていられるのはなぜでしょう。

無機質だけど揺れる火は呼吸をしているように、生きているようにもみえて、無言の受容を感じます。火は、目の前にいる私を評価することはありません。もっとこうした方がいい、とか言わない。ただそこに居させてくれます。

「心の蓋」がふわりと開くのを許す 

普段の私たちは、自分の心を守るために、あるいは社会の中でうまくやっていくために、無意識に「心の蓋」を閉じているのではないでしょうか。整理しきれない感情や、認めたくない焦燥感に蓋をしているよな。
火の前でどこか安心して、心の蓋を開けることができます。自分と向き合おう、蓋をこじ開けなくては!ではなく、ふと開いてしまうことを許す感じでしょうか。

火の中に投げ込み、空っぽになる浄化のひととき 

炎の揺らぎと共に、普段は蓋をしていた感情や整理が必要な思考が自然と浮かび上がりました。そして、無意識にそれを火の中に投げ込んでいました。ひとつ投げ込んだら、あれもこれも芋づる式に出てくる出てくる。火が持つ強さや懐の深さに、安心していろいろ投げ入れることができました。そして、気づけばなんだか肩や背中が軽くなっていました。認めたくないなと引っ掛かりを感じていたものだったのに、今は何を投げ込んだのか思い出せません。

私自身も審査員のような厳しい目ではなく、火種を見守る時のような穏やかな眼差しになって、自分を見ていました。ゆるやかな気持ちにもなっていました。

先人たちも世界中の文化で、ネガティブなものを燃やし尽くし、清らかな状態に戻す「浄化(じょうか)」のシンボルとして大切にしてきました。 火は天や神様と繋がる神聖なものと考えられてきた歴史もあります。燃え盛る炎に願いや祈りを込めることで、自分の思いが煙と共に天に届く、あるいは火の力によって願いが叶うかもしれない、という希望をもって。

言葉にならない感情を、そのまま置いておける場所 

一人きりになって落ち着かせたいと思っても、頭の中では悩みや雑念がぐるぐると巡ってしまってなかなか心の整理ができないものです。かといって、誰かと話したい気分でもない。誰かの助言が必要なわけではない。ただ、自分の考えを整理する場所が欲しい。
そんな、言葉にならない宙ぶらりんな感情をジャッジされずに置ける場所が欲しい。ただ火を眺めてことは、助けになるなと感じました。

燃え盛る炎に、願いを込めるというよりは、今の私こんな感じですとさらけ出してみる。単なるリラックスではなく、自分の内側にある感情の炎を無理なく穏やかに燃やし、整え、前向きな気持ちを取り戻すための調整の時間となりました。
焚き火でなくても、キャンドルの小さな灯火(ともしび)でも十分ですね。
小学生の頃、夜な夜なマッチを擦り火を眺めている時がありました。火の取り扱いには注意です。

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