こんにちは。静岡県でカイロプラクティック・ヒーリングの施術をしている『きらきら』の鈴木です。カイロプラクティックは1895年に海外で創始された脊椎徒手療法です。この記事では、カイロプラクティックの誕生と歴史、そして現在のカイロプラクティックをご紹介していきます。

背骨

カイロプラクティックの始まり

カイロプラクティックは1895年にカナダ生まれのアメリカ人、ダニエル・デービッド・パーマーによって発見されました。
パーマーの患者であり友人でもあったサムエル・ウィードがギリシャ語の「cheiros」(手)と「praktikos」(技術・手で行う)という意味をつなげて「Chiropractic」“カイロプラクティック”と命名したそうです。徒手療法や手技療法と訳されます。

徒手療法は非常に古くからある治療法で、紀元前の古代エジプトで行われていました。古代ギリシャを経てヒポクラテス(医学の父と呼ばれる)によって研究され、その後、ガレン(ギリシャの医師)が研究しましたが、発展するに至らず、ヨーロッパでは家庭療法的に伝承されていました。やがて、ヨーロッパからアメリカ大陸に渡り、整骨師、オステオパシーやカイロプラクティックとなり発展していきました。

背伸びをする女性

磁気治療を行っていたダニエル・デービッド・パーマーは、どうして同じように生活をしている人々の中に病気にかかる人と、かからない人がいるのかに疑問を持ち、病気の原因は外にあるのではなく、身体の内にあるのではないかと人間の病気の根源を研究していました。

D.D.パーマーは、清掃作業員として働いていたハービー・リラードに出会います。彼は17年前に窮屈に腰を前かがみにしたときに背中で音が鳴り、それから聴力のほとんどを失ったとD.D.パーマーに伝えました。
D.D.パーマーがリラードの脊椎を触診すると、こぶのように突出した部分を見つけ、この突出した部分がリラードの難聴の原因ではないか、と考えました。そしてリラードの了承を得てこの突出した部分にアジャストメントを行ったところ、リラードの聴力が回復しました。それが1895年9月18日のことであり、カイロプラクティックが誕生した瞬間です。

D.D.パーマーは痛みやしびれが取れるだけでなく、様々な身体の不調や病気がよくなることにも気がつきました。人間に本来備わっている自然に治ろうとする力(自然治癒力)が「何か」によって邪魔されているから病気になるのだと結論づけました。そしてその「何か」は、背骨の異常として現れているのではと考えました。D.D.パーマーは、これまでの医術の手技療法や接骨術、オステオパシーなど各種の方法を取り入れ、さらに自らの創意工夫を加えてカイロプラクティック理論と方法を創案しました。

カイロプラクティックの発展の歴史

ダニエル・デービッド・パーマーがカイロプラクターとして歩んだ人生は18年間でしたが、カイロプラクティックの発見からはその発展に全てを捧げました。1897年に世界で最初のカイロプラクティック教育機関パーマースクール開校し、彼の息子・孫にもその意思は受け継がれ世代を超えてカイロプラクティックの発展していきました。孫であるダニエル・デービッド・パーマー3世の代でカイロプラクティックは科学的に認められ、アメリカで法制化されました。大学で専門教育を修了した者が行う脊椎ヘルスケア(保健医療)として多くの国々で職業として認められています。

カイロプラクティックは西洋医学以外で認められた代替医療

現在、アメリカやイギリスなど主要な34の国と地域で法制化されており、世界85ヶ国で国際基準のカイロプラクターが活躍しています。それら85ヶ国の国際基準のカイロプラクターによって組織された世界カイロプラクティック連合(WFC)は、国連のWHO(世界保健機関)に正式に承認され、国際基準のカイロプラクティックは西洋医学以外で認められた代替医療です。WHOは他の代替医療は鍼灸しか認めていません。

日本でのカイロプラクティックの歴史

ダイヤモンド富士

日本へカイロプラクティックの伝来

日本人最初のカイロプラクターは1907年にパーマースクールを卒業した森久保重太郎です。森久保重太郎は生涯をアメリカで過ごしました。日本にカイロプラクティックが伝わったのは1916年になります。D.D.パーマーが設立したパーマー・スクール・オブ・カイロプラクティックを卒業した河口三郎が帰国し、カイロプラクティックを始めて紹介しました。

戦前アメリカに留学して帰国したカイロプラクターは森久保重太郎や河口三郎をはじめ、田中酉造、芹野伊勢吉、金沢督、大澤昌壽、小平粂重、千葉忠八、幡谷高山、横矢重孝、鈴木泰三、櫻庭豊、鴨原伊直、桜井真一、桜井静子など14名ほどいましたが、戦争のため留学生や海外の情報も途絶えました。1969年に戦後初のカイロプラクター、竹谷内一愿(たけやち かずよし)がナショナル・カレッジ・オブ・カイロプラクティックを卒業し帰国しました。

院内写真

今日までの日本におけるカイロプラクティックの問題と今

1960年に「医業類似行為において人体に危害を及ぼす恐れがない場合は禁止処罰の対象とはならない」とする最高裁の判決が強く影響し、ここからカイロプラクティックの開業が自由になりました。

それ以降は教育の有無にかかわらず誰もがカイロプラクティックを開業できる状態が続いています。1980年代後半になるとカイロプラクティックの事故による有罪判決があり、カイロプラクティックを危険視するマスコミ報道が増えました。しかし、1980年代後半になると日本国内におけるカイロプラクティックの事故による有罪判決があり、カイロプラクティックを危険視するマスコミ報道が増えました。

ここで皆様にご理解いただきたいのが、カイロプラクティック自体が危険というわけではなく、専門的な知識や経験がなくても誰でもカイロプラクティックとしての開業ができてしまうという事が日本での問題なのです。

1995年にカイロプラクティック教育審議会(CCE)の認可を取得したカイロ大学と同様な国際教育基準を導入した日本初のカイロプラクティック教育機関であるRMIT大学カイロプラクティック学科日本校(現在の東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック)が誕生しました。

2014年から日本カイロプラクティック登録機構(JCR)が日本で初めてカイロプラクターの登録制度を開始し、登録者名簿は厚生労働省へ定期的に提出されています。登録者名簿は公開されています。

長い年月をかけて業界からの働きかけが続いていますが、2020年現在もカイロプラクティックは法制化されていません。

ちなみに、私自身は現在の東京カレッジオブカイロプラクティックにて解剖学をはじめとする基礎医学・臨床実習を5年間に渡り、学びました。その後も開業までに接骨院、整体院、カイロプラクティックにて研鑽を積み現在に至ります。

まとめ

今回の記事では、カイロプラクティックの歴史と2020年現在の日本でのカイロプラクティックの問題をご紹介しました。健康に関する意識がますます高まってきており、カイロプラクティックも注目されている療法のひとつです。カイロプラクティックは、薬や手術に頼らずに背骨の関節や骨盤を刺激して神経の働きの回復を促すことで痛みの軽減、機能改善、身体の自然治癒力を高めることを目的としています。その場しのぎのテクニックありきの施術ではなく、不調和からの快復と、今後の人生の健康をいっしょに考えサポートをしていくものです。カイロプラクティックに関心のある皆様、ぜひ信頼できるカイロプラクティックをお選びいただき、皆様の健康にカイロプラクティックが役立つことを祈っております。

当院は静岡県富士宮市、富士山の麓で皆様の健康的な生活をサポートしております。他の施術を受けていても改善されない慢性的な症状(肩こりや腰痛などの筋肉骨格系のお悩み、不眠やめまいなど自律神経失調症など)のことでお悩みがございましたら、お気軽にご相談ください。